Hello my friends. Hello stranger.

Wednesday 30 September 2009

voyage


円高が。USのAmazonに誘惑が多すぎる。
ずっと欲しかったJurgen Tellerのあの本も、日本で買うのの半額になっちゃうし、LondonのPhotographers' Galleryでも見つからなかったMark Borthwickのあの本や、出たばかりのあの本だって一緒に買いたい。
Jurgen Tellerの本は、信じられないほどにボリューミーで、LondonのWhitechapele Galleryの本屋さんでその本を開いた時は、重みで他の本が5冊もテーブルから落ちて行った。
気合いを入れて両手で持たないと、うになら間違いなくぎっくり腰。
超重量級だから追加の送料を課されるけど、それでも日本で買うよりずっとお買い得。
本の他にも$で買った方がお得なもの、それはそれはたくさんあるんだろうな。
処方が分かってるなら化粧品も買い時だ。


直島については、なんとなく越後妻有トリエンナーレ的なことを予想してたんだけど、家プロジェクト以外には共通点なし。Benesseの私有地内は日常世界とはまったく異質の異空間でした。クワイエットルーム。

そして直島に行く前にiPhoneに携帯電話を変えたんだけど、キータッチに慣れないせいで、わたしから母へのメールがあまり流暢じゃない日本語になっていたそう。
原因が分かった昨日まで、彼女と彼女の友人の間では「やっぱり1年日本を離れたらこうなるのかしらね…」みたいな残念なことになっていたそうでたいそう恥ずかしい。ちがうよ、そうじゃないよ。

わたしとうには旅行に行ったりしないねって、たまたま複数の人に言われて思い返してみたらその通りだった。他の友達も一緒に、じゃなくて2人で出かけたのってPragueとLondonとParisだけ。
それも3週間でいっぺんに行ったから、もしかしたらたった1回だけかも。
わたし個人は旅行が好きな方だけど、うにと遊ぶときは、そこが道端でも屋上でも、喫茶店でも電車の中でも、どこでも同じようにたのしいから「旅行に行く」ってことが思いつかないんだと思う。
2人とも話したいことがありすぎて、夢中でおしゃべりしてる間に何年も過ぎてしまった。
それに飽きたら、旅行でも行こうかってことになるのかも。


Monday 28 September 2009

island

マイルの使用有効期限が迫っていたので、nmiと2人で直島へ行ってきました。
おどろきの連続で、想像ともまったく異なる雰囲気のBenesse敷地内の様子や地中美術館。
もし行く予定の方がいたら、なんとしてもBenesse ハウスへの宿泊をおすすめします。










泊まった部屋からの眺め。かぼちゃ。夕方。

14hにチェックインして、初日は部屋&Benesseハウス周辺で過ごしたんだけど、口ではなんとも言えない感覚の場所。別世界。非日常。










オーバル。花。I♡湯。

翌日はBenesseハウス付近の屋外作品見学、地中美術館家プロジェクト
通りすがりのおじいさんが、いちばん遠くの作品まで連れて行ってくれて、ガイドも兼ねてくれました。
「散歩って言うとかっこいいけど、実は寝たきりだったからリハビリ中」というおじいさんは、どの作家にも作品にも詳しくて、島の話もたのしくて、森から突然現れて、そしてまた森に消えて行きました。
地中美術館の3人の作品そのものはもちろん、すべての展示方法からスタッフの対応まで、度肝を抜かれっぱなし。音が響きやすい作りなので、みんな極力私語は謹んでの鑑賞ながら、nmiもわたしも興奮を抑えきれず。

時間が足りなくて、入浴はかなわなかったけど、高松へ戻るフェリー出港の5分前に一瞬でも、外観だけでも目にしたい!とダッシュで駆けて行った大竹伸朗の銭湯。
目に入った瞬間2人で「すげー!」と叫んでまたダッシュで港へ駆けて戻りました。










帰りのフェリーからの赤いかぼちゃ。瀬戸内海。船。

とにかく現実離れした空間で、想像を遥かに超えた場所でした。
としか言いようのないところ。
いろいろな出来事や感想を、ここまで言葉や文字にできないなんて初めての感覚かも。
直島、行ってよかった。行けてよかったー。




昨日は夕方、1年振りにヨウヘイと会った。お互いに激動の1年だったと思う。
わたしは口数が多くて、質より量とばかりに、時に表面をつるつると上滑りするような言葉を発するけど、
彼の言葉はいつだって思いや意志にぴったりと寄り添っている感じ。
大人だなぁと思った。

Sunday 27 September 2009

daily life














まとめの日記。
ひさしぶりに会ったXSは、ベレー帽とチェックのシャツという流行をきっちり抑えたガーリーな装いに、サングラスと葉巻というオプションを用いて夜っぽくポーズをとってくれたけど、残念なことにおなかがチラリ。
United Bumbooをよく着ているうに。あと赤い色が最近は多い。
人間関係ってやっぱり生き物よね。常々そう思う。
いつまでも同じでなきゃいけないものなんてつまらない。
何事も変化や進化を重ねて淘汰されていく。
だから無理にしがみつかなきゃ一緒にいられないような関係は、とうに終わってるってこと。










根津のお祭り。
カフェもたい焼きもかりんとうも、どこもかしこも行列。
帰りは不忍池まで歩いて、上野公園をひさしぶりに散歩したら、小さい頃の思い出がぽろぽろと。

22日はAgehaへ。DiploとTittsworth、そしてParisの子たちも大好きなSteve AOKIが来日。
免許証がないわたしは、家を出る2時間前からパスポートを首に下げる。
数年前、
ずっとずっと楽しみにしていた同じくAgehaでのNinja Tune来日パーティ。
"写真付き" のIDを持っていなかったわたしは入場を許されず、仲間からたった1人離れて淋しく泣きながら帰宅した悲しい思い出。
翌日、今までの人生でいちばんの最高に楽しいパーティだったと言ううにの言葉を、泣き腫らした目で聞いたのでした。

満を持して臨んだこの日は気候も良く、プールサイドで気持ちよく躍れて、
メインフロアでは偶然友達と会えたりと、楽しい一夜でした。


そして平日のお昼間に代々木公園でピクニック。
大人5人と赤ちゃん2人。

ひさしぶりのピクニックが楽しすぎて、気持ちよすぎて、
はやくもう一度出かけたい。
寒くなるまでは、ピクニック三昧で過ごしたいです。

早く働きたいなぁと思いつつ、日々コーヒー屋さんの窓際で本を読む午後のひとときは、なかなか手放しがたい。

Thursday 17 September 2009

gap


1週間ほど気持ちがふさぎ込んで、おとなしくしていました。
これは何が原因でもなくて、そういうバイオリズムにはどうしたって抗えないときがある。なんて言い方も意見もちょっと前までは大きらいで、そんな香りのする言葉を聞いただけで吐き気がするわ、って感じだったんだけど、今回ばかりは身体で実感。

小さいころから夏休みや冬休みには、緊張が解けて熱を出す癖があって、そのせいで楽しみにしていたお休みはたいていどこにも遊びに行けないことが多いのです。同じように1ヶ月を越すような長期の旅行の後も、帰国後は熱を出す。

だから、今回も帰国後は一度派手に体調を崩して、それで "リセット" だろうなと思ってたんだけど、今のところまったく異常なし。

だからその代わりとして、ちょっと閉じこもりたい気分だったのかも。





ジョギング中、BBCやFrance Inter etcのラジオを聞いてるんだけど、フランスのラジオやテレビって、一度に3〜4人が話してることも珍しくなくて、しかも誰も引かずに意地でも自分の意見を言い切ろうと必死だから声も大きくなるし、語気も荒くなって、テレビはまだいいけどラジオだと、もうただの雑音ってこともしばしば。その度に笑える。

昨日はBBCの番組で話が逸れて、とつぜん
「フランスでは"internet" はmasculinなのかfémininなのか」と。
1人がたぶんmasculinだと思う、と言ったので、
「なるほど。じゃHe is an internet.と言うんだね」と。
言いたいことは分かるけど、しばらく大真面目にこんな疑問を話し合ってて、笑いたいのを我慢しつつもにやけた顔で走ってたから、変な人と思われないように、ムダな動きでごまかしたけど、それの方がより様子がおかしかったかもしれない。

走っても何ともないけど、ダンスの次の日は筋肉痛。




よく友達や兄弟の赤ちゃんを見ると、自分も欲しくなるって聞くけど、わたしは逆に見れば見るほど欲しいとは思えない…。
かわいいとはもちろん思うけど、それは自分のものではないからようやく持てる感想。
こんなに大変そうなのはとても自分には無理、と自らの忍耐力や母性の無さ、身勝手さを自覚するばかり。

そして人々が自分のこどもに尽くしたり、夢中な姿を見れば見るほど、そんなに?どうしてそこまでそうなれるの?と心から不思議に思う。

明らかにこれはちょっと本格的に欠陥部分。たぶん。

それにこれはほんの一部で、きっと世の女性にしたら、信じられない!と非難されるような感覚が、まだまだわたしにはあると思う。
果たして、大人になった今からでもその部分を何かで補えるのか、あるいは修復できるのかはなぞ。
それはむしろ改宗、なんかに近いような気がする…。

そもそも修復する必要があるのかもなぞだけど、どこかにわたしみたいに思ってる人もいるのだろうか。それとも、やっぱり女の人はもれなく赤ちゃんやこどもというものに対して、優しい気持ちで惜しみなく愛情を注げるのが普通なんだろうか。かわいいって無条件に思えるものなんだろうか。

Parisにいた時は、今の数倍の赤ちゃんやこどもを毎日見てて、妊婦もすごく多くて、試しに1日に何人見かけるかカウントしてみたら、その日家の近くを1時間散歩する間に8人の妊婦とすれ違った。
何にしろ、そういう環境においても、自分としては出産やこどもに対してはこう思う、って躊躇なく言うことができたけど、今はそれと同じことは言えないなって思った時に、なんでだ?って考えると、"一般的な" 意見とは違うだろうし、それを聞いた人が気分を害することもあるかもしれないって思ってるからかも。

じゃ、どうして向こうではこどもを持つ友達にでさえ、そういうことが言えたのかといえば、相手が気を悪くする心配が一切なかったし、その心配をすることすら思いつかなかった。
それぞれの意見が違って当たり前だし、自分の意見や考えを伝えることしか自分を分かってもらう手段はないと思ってたから、自分の思ってることをできる限り伝えてた。

それが今できないっていうのは何だろう。
向こうではそんな風に思わなかったのに、今、自分に対して欠陥部分と感じるのはどうしてだろう。

実際、自分が将来、こどもを持つことがあったら「なにをうだうだ言ってたんだろう」って思うのかもしれないけど、とにかく記録として、少なくとも2009年秋の時点ではこういう考えだったと残しておこうと思って。


もう一つ記録:帰国後になかなか直らない癖
・人にぶつかる度にPardonと口にする
・赤信号を渡る
・エスカレーターで右側に立つ
・お店に入ったときやレジで、とっさに言葉が見つからず「こんにちは」と言う
これ、レジだったら「お願いします」って言えばいいんだ。それか会釈。


Friday 11 September 2009

faire des courses

わたしのお料理・自炊デビューはParisだったから、品揃えとか、価格とか諸々のスタンダードがまだParisのままなので、帰国後にちょこちょこスーパーに冷やかしに行くと、さまざまな疑問点が続出。スーパーに入ってものを観る順番はいつも野菜・くだものからだったので、まずそこに行きます。
そうすると、いつも買っていた野菜が、高いとか小さいとかじゃなくて、見当たらないのです。

毎回買っていた野菜は
・poivron:パプリカ

・endive:チコリ

・courgette:ズッキーニ 丸or細長

・betterave:ビーツのサラダ

・tomate grappe:トマト

・batavia:バタヴィア

・roquette:ルッコラ
・concombre:きゅうり
トマトやパプリカ、キュウリはすぐ見つかるんだけど、なぜかズッキーニがない。
丸いのも細長いのもない。チコリもない。季節があるのかな。
Parisでは1年中見かけたけど、日本では今は旬じゃないのかな。 でもアスパラがあった。
で、キュウリがびっくりするほど細くて細くて小さくてかわいらしかった。

パプリカも小さくてぎゅっと固かった。



果物はぶどうといちぢくと、オレンジとバナナとキウイ、リンゴがありました。
果物は種類がもっともっとあれば、プラムの類とかがいろんな色売ってたらうれしいなぁ。


そして、もっとびっくりしたのが豆が売ってない。
野菜売り場になくて、豆ってコーナーを見つけたけどそこにもなくて、レンズ豆やひよこ豆やFlageoletってどこに売ってるんだろう。乾物屋さん?

そして今いちばん謎なのがブイヨン。
今日見た棚には「コンソメ」って書いてある箱しかなくて、あれって何味?

今までは
volaille:鶏、boeuf:牛、他にPot au feu、poule au potやそれぞれの油分控えめシリーズ、野菜のみその他いろいろから選んで2つくらいキッチンに置いてたんだけど、コンソメって何のお肉使ってるんだろう。
博士は
KUB OR使ってた。

煮込んだり、スープ作るときはいつもコンソメを使えばいいのかな。
そうしたらいつも同じ味ってこと?

きっと作るお料理によって変えるんだよね。
でも今日はコンソメってかいてるのしか見つけられなかった。

品揃えの乏しいスーパーだったのかも。


Parisで買出しの際は、何か一つ選ぶたびにこういう疑問があったので、その都度博士に電話したり、ついて来てもらったりしていたのでした。
そうして段々と慣れて、知って覚えて、1人で買い物が出来るようになったわけですが、まさか日本で同じようにゼロから始めなきゃいけないとは。

30歳にして、はじめてのおつかい風なスーパーでの徘徊はもうしばらく続きそう。


フランスでは材料が高いから和食なんてMAKIくらいしか作ったことないし、でも今ここでおいしくて経済的な材料で何か作るとなれば和食になるわけで、どっちみちゼロからのスタートなのです。



Brightonに行った時、Andrewが首から下げてたおばあさんの妹の形見であるフィルムのカメラ。 Londonに戻る時、最後にわたしとEmmaの写真を撮ってくれて、それでやっと1本目を撮り終わったフィルム。
現像できたみたいで、その写真が見れました。
偶然入ったギャラリーで彫刻家のインスタレーションにEmmaともぐり込んだ
この写真が気に入ってる。
いいなー。わたしもフィルムでまた撮りたいな。



今日で、たったの2回で歯の治療が終わった。うれしい。

しかもParisにいる間、虫歯は増えていなかった!奇跡!

Wednesday 9 September 2009

7 days

帰国して1週間。
ほとんど違和感ゼロで順調に順応中。

いろいろとやりにくさを感じるのは仕事を始めてからだろうから、ストレスフリーな今、快適に過ごせてるのは当たり前。か。

頻繁にParisの友達とchatなんかしてると、ほんとうに「ここどこ?」って感覚になるし、相手も「ホントにもうParisにいないの?」って感じだろうな。しかも相手がイギリスだったり、ベルギーだったり、フランス国外だともっとそんな風に思う。
でも、「電話しようとして、あ、もういないんだったって思った」なんて言われたら、それは結構切ない。

何にしろ、1年も勝手に遠くに行って、好きなことだけしてたのに、帰って来たわたしを甘やかしてくれている母やうにのおかげで、日々のんびりじんわり楽しさやしあわせを満喫しているのです。
















こちらは予想していたよりもずっと涼しいけど、それでも暑い時はこんなに陽射しが強い。
サングラスなしじゃ目も開けられない。
うにが車で連れて行ってくれた背の高い草がたくさんのところは、静かで夏やすみみたいな場所だった。

この1週間で6本のダンスレッスンに出て、1年振りの先生たちやいつも顔を合わせていた皆さんにもごあいさつ。
50歳を過ぎてダンスを始めたおじさんは1年の間にずいぶん上手になっていて、前以上にたのしそう。
Parisで受けてたレッスンはテクニックは二の次で、とにかくエネルギーを発散するような感じだったから、ありったけの力を振り絞って躍ってたけど、今は慣れ親しんだレッスンだから好きなように抜けるし、じっくり落ち着いて、自分の課題に集中して躍れるので、1本1本がしっかり身になっているような感じです。

できればこれからも、できるだけたくさんのレッスンに出られるような仕事に就けたらいいなぁ。
















日本も野菜がおいしい。野菜もくだものも高いけどおいしい。
もう松茸も食べました。シンプルに焼いたのと、鯛を蒸したのに添えられてたの。
明日かあさってにでも、レンズ豆の煮込みを作ってみようと思います。

実家でお料理をするのなんてきっと生まれてから5回目くらい。

※FacebookとTwitter。
今日、言語設定を日本語にしてみたら、不可思議な日本語で気持ち悪いし、急に広告が醜い。
使い始めた頃って日本語設定自体がなかったけど、日本語ネイティヴの人たちは基本的にこの日本語設定で使ってるのかな。


Thursday 3 September 2009

hippie




















時差ぼけがまだなおらず。そういうの強いほうなんだけどな。

日本に帰ってから、納豆や秋刀魚を食べました。
もっともっとあれもこれも!ってなるかと思ったら、
これからはこういうおいしいものをいくらでもゆっくり食べられる、と頭と胃が理解したみたいで、
意外と食べ過ぎずに済んでいます。

そしてParisで気に入ってたミルクティーの香りの化粧水。
3本買って帰ったのを嬉々として使おうとしたら、同じシリーズのクレンジングミルクでした。
まちがえちゃった…。がっくりと力が抜けて、ぶつけどころのないやるせなさ。

昨日1年ぶりにうにに逢ったら、わたしの髪の毛があまりに伸び放題で「ヒッピーのこどもみたい」と言われて、母にも何度も早く切ってと言われたので、今日切って来た。
わたしは見慣れてるからそんなにひどいと思わなかったんだけど、ふたりがこれだけ言うなら相当だったんだろうな。写真は昨日のわたし。
今日10cm近く切ったのに、渡仏前より長いってどれだけ伸びたんだ。
お家に戻っても「ほんとうに切ったの?全然かわってない」と母はがっくり。
もっともっと短くしてほしかったそう。そういえばこどもの時もずっと短い髪でした。

すでに申込みetcは済ませて、今週末からダンスレッスンも再開の予定。
就職活動もそろそろはじめなきゃ。
どんな仕事をしようかなぁ。

※今うにの日記見たら、「ケイコがヒッピーの子供みたいになって帰って来た!」って書いてあった…。
もしかして髪のことだけじゃないのかしら…。


Tuesday 1 September 2009

paris-japon

今日、日本へ帰ってきました。 何かと用事が立て込んだ帰国前の日々を忘れないうちに振り返る。

28日 金曜日
日本へ送る船便の荷物の集荷の日。 せっかく湯浅夫婦とcuit de pouleに行く約束をしてたのに、集荷後の手続きのためにキャンセルして、OPERA界隈で諸々の手続きを15hくらいまで。









用事がやっと済んだころ、エリちゃんから電話をもらって、そこから5区で待ち合わせ。 おいしいPattiserie、Carl Marlettiへ行ってケーキを買う。 わたしが選んだのはLily Valleyという名前のサントノレ。これ、シェフの奥さんのお花屋さんの名前みたい。 mosqueのカフェでミントティーを飲んでから、st-antoineにもあるお気に入りのチュニジアpatisserieでお昼ごはん。北アフリカのクレープみたいなのにいろいろ具をはさんだのを食べた。
で、外の席が開いたから、そちらに移ってさっき買ったケーキを食べる。
Parisでは買って来たお菓子やパンを、よそのカフェで食べてもおこられたりしない。
コーヒーを持って来てくれたマダムがケーキを見て「それどこの?すごくおいしそう…」とため息。
アドレスをおしえると自宅のすぐ近くなのに行ったことないと悔しがるマダム。
ケーキはどれも一つのpieceにたくさんの要素が詰まってておいしかったし、エリちゃんの話にぐんぐん引き込まれた。キュッと上がった口角がほんとうにきれいだなぁと思いながら。










夜、お家に帰ると、同居人のチハルちゃんがほうれん草のタルトを作っててちょうど焼き上がったところ。
彼女のお友達と3人でいただきました。
22h30頃、Brusselsからサヨナラを言いに来てくれたKaelenがParisに着いたので、北駅で合流して、それから3h過ぎまでOberkamphとBastilleのbarで


29日 土曜日 5h過ぎにベッドに入って、浅い眠り。 ミホナちゃんとBorisの結婚式が11hからmairieで。市役所の中の結婚の間で、区長さんが式を進めます。わたしとSebastianは証人として書類にサインをしました。 式は20分くらいで終わって、みんなで近くのレストランでお昼ごはん。









その後、Kaelenとわたしは最後のParis名所巡り。 Four Seasons Hotelで冷たいハーブティを飲んで休憩。Parisでここまで丁寧に大切にお客さまとして扱われたことってないってくらいの接客態度。4つ星ホテルだから当たり前か…。 夜はエリちゃんの手料理をいただきました。和食。 しそや大根おろしなんてひさしぶり。おいしくておいしくて、わたしとKaelenは上機嫌でぱくぱくとあっという間に平らげた。 その後、Mikeのバンドでチェロを弾いていた女の子ががプロのCellistとしてL.AからParisに引っ越して来たので、Kaelenと彼女と3人で会う。彼女は毎日、7h-21hまで自宅で練習しているらしい。
Kaelenは昨日に引き続き、この日もたくさんお酒を飲んだ。
わたしとKaelenはトーキョー、San Francisco、Paris、Brusselsといろいろな街で会ってるけど、どこでもおいしいものといい音楽があれば仲良く楽しく遊べる。

30日 日曜日 この日は朝からそうじと片付け。 途中、近所のカフェにお昼を食べに出かけた以外はひたすら作業。18h頃に大家さんが来た、 入居する時に支払った保証金を返してもらって、お世話になりましたとごあいさつ。
上の階のAniaにもあいさつに行ったら、アラビア語のメッセージとデーツをくれた。同世代の彼女は建築家。一緒に暮らしてるドイツ人の彼も建築家。
そして、夏の1ヶ月の市民講座、フランス語の試験の結果が届きました。 帰国ぎりぎり。合格だったみたいです。










そしてParis最後の夜。 チハルちゃんとBasque料理が食べられるレストランへ。 大人気で行列とは聞いてたけど、着いてみたらお店の前には人だかりでみんな片手にはビール。どれくらい待ってるか聞いてみたら「40分くらいだけど、2人なら早く入れるかもよ。中で名前を言うと、空いたら呼ばれるから」とのこと。で、カウンターで2人だと伝えたら、ちょうど席が空いてて、そのままテーブルにつけた。ラッキー!5人席に男の子3人のグループと相席。彼らにメニューのアドバイスをもらって、どうせ5人なら、とワインをボトルで頼んで一緒に飲みました。 グラフィックデザイナーとエンジニアとrentierの3人組。24歳で金利生活って!しかもこの彼、歳の話でわたしが30歳って言ったら間髪入れずに「c'est pas grave.」って返答したんだけど口が滑るにも程がある!びっくりして笑えた。



安くて美味しいこのレストラン。 何を頼んでも量が半端じゃない。パテとサラダ、牛肉とチーズを重ねて焼いたものを頼んだけど、大きさとにぎやかな感じ、伝わるかな。



この3人の後にきた別の3人組。 このグループがあんまりにおかしくて、楽しくて、結局24hを回るまで5人で顔もおなかも痛くなるまで散々に笑って喋って、食べて飲んで、おなかがはち切れそうになるくらい。 予約不可のレストランで開店前に並ぶのには間に合わなかったのに、すんなり席が空いて、たのしい相席でおいしい食事ができて、最高の夜になりました。



これは本当は29歳のLaurentの年齢当てで、わたしが33歳と言ったことが相当ショックだったらしく、帰りがけの他のお客さんを捕まえて「何歳に見える?」と聞いたら答えが「25歳」で大満足してありがとう!と言った瞬間にくしゃみのところ。
正直、やっぱり29歳には見えないわ。
この後家でみんなでコーヒー飲もう!というお誘いもかなり魅力的だったけど、明日は帰国なのでおとなしくチハルちゃんと帰宅。最後の片付けをしなきゃなんだけど、明日早起きしなきゃ何だけど、読みかけの本に手をつけてしまって、3h過ぎまで眠れず。

31日 月曜日 7h起床。いよいよ全部の荷物をまとめたら予想外に多い。 CDGでのチェックインがかなり不安…。9h過ぎにマイさんから連絡をもらって、ユズちゃんに会いに行く。 ひさしぶりに触る赤ちゃんはあったかくてふわふわで、毛穴のない透明な肌にみとれてたらあっという間に時間が過ぎていて、大慌てで帰宅、と同時に無理矢理荷物を詰めて、すぐに出発!LYONへ車で向かうチハルちゃんと恋人のJohan、お別れに会いに来てくれたAlexandraとあわただしく別れて空港へ。淋しさなんて感じる暇もないような出発。

こんな感じの4日間。 日本人の友達は彼らが一時帰国する時にいつかまた逢えるって思えるから、そう淋しくはないけど、フランス人や外国人の友達はわたしがParisや彼らの国に行かない限りそうそう逢えないだろうからきゅうっと切ない。 そして毎日の日常だったParisの街並や景色がまた非日常のものとなるのは、まだどんな感じかなぞ。 今は飛行機で空を飛んでいる途中だから。 毎日通ってたパン屋さんとか、郵便局、顔見知りのスーパーのレジのマダムとか。
アパルトマンとかメトロの汚さとかParisienの冷たさや人懐っこさ。
そういうものが一気に遠くなって、それが存在してる世界に暮らしてたのは夢だったのかも。
って思ったりするのかしら、この先。











いろいろ思うところはあるけど、とにかくフランスに、Parisに来てよかったって思います。
visaの申請を決心したことも、それが受理されて実際にフランス行きを決意したことも、そのために仕事を辞めたことも1mmの後悔もなく、あの時あの選択をして本当に良かったと何度でも思うし、Parisに来てからのすべての選択についても同じように思う。


何かをやりたいって思ったら、そこで人生の方向をくるりと変えることはむずかしいようで、でも実際は自分次第でどうにでも好きにできるってことも分かった。

何かを手に入れるには犠牲を払わなきゃいけないって思ってたけど、それ何かを思い切って決断できないときのいい訳にもなり得ることも分かった。

この1年で会ったたくさんの人に、たくさんのことをおそわって、いろいろな強さや弱さを知って、

仕事や日々の生活を通して、いくらか自信もつきました。
まだまだまとまらない思いや気持ちが散在してるけど、送り出してくれた友達や家族や恋人、1年の間に知り合って支えてくれたすべての人たちのおかげで、とにかくすてきな1年でした。
毎日しあわせに暮らせました。
どうもありがとうございました!