Hello my friends. Hello stranger.

Wednesday 26 November 2008

tuna

近所の一番おいしいパン屋さんでサブレ・ナチュールを衝動買い。ずっとがまんしてたんだけど、お菓子買うの。ついに、というか初めてパン屋さんで買ってしまったー。他にもマカロンの多きいのや小さいのや、タルトレットやカヌレやマドレーヌや山ほど誘惑はあったけど、とりあえず一番質素でシンプルなのにしてちょっと罪悪感を軽減。

お家に帰って早速食べたら、実直なおいしさでなんだか癒された、ような。癒しって言葉好きじゃないんだけど、でもまぁそんな感じ。甘いものっていろいろに効果的だなぁ。

ひよこ豆のトマト煮込み。底にはぎっしりとひよこみたいな豆が潜んでいます。最近はパンばかり。日本から船便で送ったお米がまだあるんだけど、この間ビスキュイ博士にそのお米の貴重さを思い知らされて、もったいぶってるところ。でもおいしいパン屋さんのバゲットだからこれもごちそう。

これ。帰りのメトロでぷって吹き出しちゃった。パイの人の新しいアルバムタイトル、ninja tunaって。そんなー。 Avec ROOTS MANUVA, ALLICE RUSSELL & QUANTIC。QUANTIC、前に日本に来たときに観に行って、話しかけたらBrightonに住んでるって言うから、LondonからBrightonまでの行き方聞いたら丁寧に教えてくれた。その後すぐにLondonに行ったのに結局Brightonには行かなかった。

今日もなんだか仕事が思うように進められなかったけど、それでもやるしかないのです。こんな時によぎるのは、やっぱり立派なママになったあの子やあの子、そして同じように仕事をしているあの子やあの子。なぜか女の子ばかりが浮かんでは勝手に勇気づけられています。今まで自分の年齢を実感することってそうなかったんだけど、仕事についてうーんと思いを巡らせているとなんだか自分の歳、その数字が、磁石が何かにくっつくみたいにひゅーって自分自身と重なるような感覚があるここ最近。



Tuesday 25 November 2008

en parachute


午前中、ミホナちゃんの取材へ直行。パン職人姿の彼女はとっても立派でほんとうに格好よかった。そして急な依頼だったのに、部外者の訪問を快く受け入れてくれた職人の方々のあたたかさに心打たれました。みんなボンジュール!とにっこり迎えてくれて、まさかお仕事中の作業場のあんなに隅々まで撮影させてもらえるなんて思っても見なかった。試作品の試食までさせてもらって、ミホナちゃんがどんなにすてきな職場で働いているか、肌で感じることができました。


と、こんなにきらきらと心洗われるような一日の始まりだったのに、自分の職場へ戻ってからはひどい有様で。トーキョーで働いていたときよりも忙しく、責任も重く、感じたことのない期待とプレッシャーがのしかかって、次々と新しい課題が降って来て、永遠に終わらなくて、息継ぎができなくて、そんな風に言いたくないのに感じのわるい物言いをしちゃって、それに落ち込んだりして、そんなことしてても仕事は片付かなくて、あぁ今すごい不細工な顔してるんだろうなって思ってたら日が暮れてしまった。どんなに忙しくてもトゲトゲしないのが特技だったのにな。ため息とかめったに出て来ないのにな。いつだってもうちょっと心に余裕があったのに。 仕事が忙しいときって、それで活き活きしたり弾みがついたりすることもたくさんあるのに、こういう風になぜか淋しくなっちゃうのって何なんだろう。しかも今までに経験のないこの切なさって。

夜、市民講座に行っても疲れてるって思ってるからか、全然みんなの言葉も聞き取れないし、眠気もおそってくる。今日は授業の半分も理解出来ないままで、先生とみんなが何がおかしくて笑ってるのかもどうでもいいやってなんだかあきらめ80%って感じの気分で、だんだん悲しくなって来た。いつだって言葉が思うように操れないのが悔しくて悔しくて、もどかしいのに、それに対してあきらめの気分になるっていよいよ後ろ向きなんだろうか。

電車での帰り道、窓に映る姿がなんだかほんとうに冴えなくて、好きで来たのに「ここで何してるんだろう」なんてよぎったり。 駅についてエレベーターに9人びっちり乗り込んで地上に向かう途中、あろうことかエレベーターが故障で停止。もう本当に散々な気分で心がぐったりと疲れた。

エレベーターはゆーーーっくり上に動いたかと思えば止まるし、かと思えば下がり始めるしで、結局は宙ぶらりんのままで、本当ならすごく危ないしこわい状況だったと思うんだけど。一緒に乗り合っていたフランス人たちは誰1人そう思ってないみたいで、「さっき地上がちょびっと見えた!」とか、「待ってる人のカバンが見えるよ!」とか、「パラシュートで降りてるみたいだ」とか「ZENの境地になろう」とか笑いながら好き勝手に言ってる。5分くらい過ぎたところでやっと非常ボタンを押すことに意見がまとまって、管理センターと繋がると、「今修理担当がそちらに向かっている」と。それにも「みんなで見たことない景色を今見てるんだよ!」なんて答えてて、わたしもだんだん可笑しくなって来た。修理の人が到着して、下の方から「あと5分くらいで降ろすから」と声がしても「こっちはみんなと自己紹介でもやってるからどうぞごゆっくり」なんて言ってた。ようやくエレベーターが動き出して、綿毛くらいゆっくりと降下し始めた時には「こんな風にエレベーターでそっと降りたことないだろう?すごいステキじゃないか!」の言葉にみんなそうだそうだ、と笑い合って、むしろ良い経験だったと言わんばかりの笑顔でさよならと言い合って降りた。

結局元来た通路を戻って、1人長いエスカレーターで地上へ上がりながら、なんだか急に泣けて来た。
エレベーター、故障してよかった。

Sunday 23 November 2008

neige

日曜でも午前中だけ営業しているスーパーに行くために、朝のうちに身支度を整えて出かける。
寒い!もう顔が痛いほどの冷たい風で、キリリとした冷気。
まだ11月なのに。この先もっともっと寒くなるのかと思うと気が遠くなる…。

両手いっぱいに食料を買い込んで、お店を出て歩いていると…雪!
そういえば、雪の日ってこんなキーンとした寒さだった。よかった、雪が降るくらいってことは今日のこの寒さはそれなりに真冬並みってことだ、と一安心。この寒さを越すには、耳あてとか、毛糸の帽子とかきっと本当に必要だ。


隣を歩いていたママンに手を引かれていた男の子が雪を見て「今日はノエルだねー」と言ったから、ママとわたしでつい大笑い。それに照れてママの陰に隠れる男の子。雪が降る日がクリスマスだと思ってたみたい。 今日も運動を兼ねて遠くまで歩く予定だったけどこの寒さじゃさすがにムリだなぁとおとなしく帰宅。昨日、ヨガマットを買って来たからお家でやってみよう。って言っても、ヨガのDVDも本もないからなんとなくだけど、それじゃダメだよねぇ…。


久しぶりにノゾミとskypeしたら赤ちゃんが育っててびっくり。貫禄があった。わたしも赤ちゃんに負けず劣らず体重増えたけど…。 お家にいてもやっぱり寒いので、何かあたたかいものが食べたくて、夜は遊びに来たビスキュイ博士に協力してもらってレンズ豆の煮込み。ごはんつぶとおいしくいただきました。今日からお部屋にじゅうたんを敷きました。元々このお家にあったもの。この上にさらにカーペットを買って来て敷いて2枚にして保温効果をねらい、床でくつろげるようにする計画。じゅうたんを敷いただけで、お部屋はずいぶんあったかそうな見ためになった。ホットカーペット欲しいなー。フランスでは使わないのかなぁ。

Saturday 22 November 2008

Chacun cherche son chat

待ちに待った週末。身体が重いので、今日は思う存分歩くと決めてお家を出る。
ずいぶん前にやっちゃんが送ってくれた小包が、結局わたしの手元に届かないまま日本に送り返されていて悲しい。フランスのこういう話はたくさん聞いてたけど、自分の身に降りかかるとこんなにやるせないなんて。忙しい毎日の中で選んでくれた品々が遠く海を越えて、さまよい続けてるなんて。悲しいし悔しい。もし、もしも何か送ってくれる人がいたら、郵便局の人がどんなにすすめてもEMSは選ばずにSALを選んでください。EMSだとこんな風に届かないことがたくさんあるんです。そしてぜひ前もってご一報もらえれば勤め先の会社の住所か、アパルトマンのコードを送るのでそれを送り状に書いてもらえると、無事に届く可能性はぐんと高くなります。

おもしろい名前のパッサージュ

楽しみにしていたRue Charonneを通ってぐんぐんと。
猫が行方不明に出てたPAUSE CAFE。帰りはここで休憩しよう。

偶然見つけた、PARRAの書いたと思われる店名、ドアにはPARRAのポスター!近寄ってみたら、なんと12月5日から彼の展示が!すごいとこ見つけちゃった!と興奮して中へ入ると、グラフィティやデザイン、アートの書籍がたくさんでPARRAのTシャツも。ギャラリーがすぐ隣だったので、そこでの展示も見れました。5日のオープニングパーティが楽しみ。After PartyはLe Regine。





4時間ほどひたすら歩き続けて、PAUSE CAFEまで戻り休憩。初めて店内へ。
映画で観たよりもずっと広く感じる。
今日言葉を交わしたフランス人たちはみんなとても感じが良くて、きちんとコミュニケーションがとれているという実感も持てて、なんだか久しぶりにParisっていいなぁと思った。ちょうどあの映画のような雰囲気で。わたしの初めてのフランス人の友人とあの映画の主人公は、寂しがりやなところと強がりなところがよく似ている。彼女もねこを飼ってた。もう9年も会っていない、おそらく今は同じParisの空の下で暮らしてるであろう彼女は元気にしているかな。きっと相変わらずコーヒーと煙草ばかりを頼りにしてるんだろうな。

Wednesday 19 November 2008

neighborhood

今日はビスキュイ博士ことクミーの引越の日。新居はわたしのお家から歩いて数分のアパルトマンでまさかのご近所さんに。もう1人のご近所さん、ユウイチロウくんと様子をうかがいに。

途中に立ち寄った新たに見つけたパン屋さん。
今までに知ったどのお店とも違うトラディッショナルな雰囲気。
パン職人のおじいさんが自分で接客もしてる。バゲットの高値更新で€1.35!

り道の末にたどり着いたきれいでぴかっとしてる博士のアパルトマン、広々としたstudio。すてき!
この界隈にはこんなすてきな物件がまだまだ眠っているのでしょうか。

博士の新居からの眺め
新居での初めてのお食事はピザ
半分にして2種類焼きます。1つはみどり、1つはあか。
具もたっぷりと
たまごも乗せてハーフムーンピザ。これはみどり。
これはあか。

おいしいー。それぞれ味がまったく違う。どっちもおいしい。いろいろ塗ったりのせたりしたから、たくさんの味がぎゅっと詰まっててたのしい。ピザってひさしぶりに食べたけど、やっぱり耳のところがいちばんおいしいなー。


食後にプルーン入りのデザート。減量中なんですけどねぇ。
お家がすぐ近くと思うと気持ちもゆったりのんびりしちゃって、そのおかげかワインやごはんやデザートも結局たっぷりいただきました。あれやこれやおしゃべりも止まらず(主にわたし)、気づけば日付も変わって、お家に宿題が待っている2人はいそいそと帰り支度。たとえばごはんをすませた後でさえ、ちょっとお茶でも、なんて言ってお家を行き来できるなんてほんとうにしあわせな環境。Parisは東京ほど大きくないから、たとえこれほどご近所じゃないとしてもそういうのがずっと気軽にできるところ、とても気に入ってます。

夕方に簡単に雨が上がったその後で
お茶でも飲みに行こうなんて電話をかけて
駅からの道を行く 君の住む部屋へと急ぐ

まさにそんな感じの日常です。

Tuesday 18 November 2008

dilenmma

体重増加に伴い、ビスケット消費量も減少中。とはいえ、コンスタントにもぐもぐしてます。

クミーのおすすめにしたがいチョイス。うねうねの中にじゃむがたっぷり。PBブランドなだけに安い。ショコラはめずらしい、とビスキュイ博士

とにかく種類が無限かと思われるほどあるので、食べても食べても果てしないです。うっかりおいしいのをリピート買いなんてしてたらまったく開拓が進まない。大好きなチーズがもちろんとっても安いので、本当はそっちもどんどん開拓したいんだけど、何ぶん減量(心がけ)中なので…。でも日本で¥1,000以上出して買っていたチーズがこちらで€2〜3で買えるのはしあわせ。食べたいけど身体を軽くしたい…。永遠のテーマです。

Sunday 16 November 2008

Black Taxi

日曜日。4時間ほどの睡眠をとって再び街へ。

このブランチ。なんと真ん中のお豆以外すべて揚げ物!寝起きじゃなくても辛い。

今日は観光。ガイド付きのBlackTaxiで、つい最近まで続いていた紛争のさまざまな傷跡を巡るツアー。とは言え、傷跡と呼ぶにはあまりに新しく生々しい。

地元アーティストによるさまざなな壁画
他の2人に比べて政治的知識が乏しく、歴史的背景も飲み込めていないわたしにとって、
北部アイルランド英語でのガイドはむずかしいところもたくさんあったけど、
それでも実際にその紛争の中で育ったまだ若いドライバーの言葉からは現実的な痛みや恐怖が充分すぎるほどに伝わってきました。


66日に渡るハンガーストライキの末、27歳で亡くなったBobby Sandsの壁
和解への会合が秘密裏に行われた教
この左の塀の向こうはプロテスタント地区。
彼らからの襲撃に備えてこのケージ付きの家に住むのはカソリックの人たち。


一般の民家の壁に描かれている街中にたくさんある壁画
Bobby Sands同様、ハンガーストライキによって命を落とした10人。ほぼ20代の若い男性
プラスチック弾による犠牲者の中には10歳や11歳のこどもも。

【以下引用
1994年8月にIRA暫定派は無期限休戦を発表する。この休戦は、その後の和平交渉の不調を理由として96年2月9日のロンドン、ドックランズでの爆弾をもっていったん撤回されたが、暫定派は翌97年7月に再び休戦し、これが今日まで継続している。つまり、1994年の休戦でIRA暫定派の活動が完全に終わったわけではないが、これによってその後の方向が決定付けられたと考えてよい。その後はさまざまな局面をみることとなったが、暫定派は2005年7月28日にすべての武装活動の停止を宣言し、同年9月には武器放棄の完了が確認された。


昨夜のクラブでの小綺麗な大人たちや中心地のショッピングセンターなんかとはかけ離れた景色。
犠牲者の名前が残されたたくさんの記念碑には1歳の赤ちゃんや3歳のこどもまでいた。火を放たれて焼かれた家の跡地やSinnFein党事務所などさまざまな場所を巡る90分の中でも、いちばん響いたのは、やっぱりガイドであるドライバーの男性が真摯に語ってくれるその姿でした。ふらりとやってきた観光客にまだ新しく、悲しい歴史を常に語り続ける彼のこの仕事は、単に職業と言うにはあまりに背負っているものが大きすぎるような気もしました。 知識が足りないわたしには飲み込めないところもたくさんあったけど、実際に彼から話を聞けたというのは貴重な経験で、その惨劇やそこに渦巻く恐怖や怒りやいろいろを一人でも多くの人が知ることは何よりも大切だと静かに思いました。 


わたしとチハルちゃんは夕方の飛行機でParisへ、アヤちゃんはバスでDublinへ戻る。親友同士の再会におじゃましつつ、本当にじゃまじゃなかったかしらなんて気を揉む必要もないくらいに、週末を一緒に満喫してくれたフレッシュヤング・ガールズに感謝です。

Saturday 15 November 2008

Belfast

週末を利用して、同居人のチハルちゃんと北部アイルランドはBelfastへ旅行。チハルちゃんとアイルランド経由で日本から来る彼女の親友との再会の旅に便乗してBelfastでの待ち合わせへ。しかしながら、前日の深夜に気づいてしまったこの痛恨のミス。

エアチケット。わたしの名前が大変なことに。

もちろんパスポートはKEIKOなので、これじゃ飛行機には乗れないだろうね…とがっくり。「正式にはKEIKOだけど、普段はこっちのLOP付きの名前を使っているんです」「日本では未婚の女性にはLOPをつける習慣があって」とか一応の言い訳も用意してとりあえず空港に向かって、素知らぬ顔をしてカウンターへ。 すごい緊張して心臓もドキドキして、冷や汗かきながらチェックインに向かったら、LOPには一切触れられず、その後のセキュリティチェックやパスポートコントロールもすべて難なく突破。フランスの適当さにもこの時ばかりは感謝&謙虚な気持ちになりました。搭乗出来ない予想で、空港からトンボ帰りした際の週末の予定も決めていたくらいなのに…。何か不具合があったら空港アナウンスで「Miss Keikolop」って呼ばれてたんだろうなぁ。でもフランス語読みだと「ミス・ケイコロッ」って感じか。

Belfast到着。「グレートブリテンおよび北部アイルランド連合国」の北部アイルランド連合国部分なので、
ここはイギリス領。なので通貨も€じゃなくて£。

小さな街です。地図もガイドブックもなく、ビールと食事を求めて街を歩く3人。
そして相当にローカルなパブへ。若者なし。おじさん8:おばさん2。
ボリューミー。右はステーキ&キドニーパイ。これとデザートとそれぞれのお酒で£30。安い。
デザートもボリューミー。隣のフォークは大きいタイプ。それに迫るサイズのこのチョコレートファッジ。

夜。通りによってはまるでゴーストタウンのように人気のない街。寒い。念入りに防寒しても凍えそうなわたしたちの横を、ノースリーブにショートパンツなんていう装いもめずらしくないくらいの薄着ではしゃぐティーンたち。信じがたい。いったいどんな温度感覚。昼間に増してさらにどんよりと、今まで感じたことのないような鬱屈した空気の街並をてくてくと。 深夜タクシーでクラブへ。女性はただおしゃれをするんじゃなくて、背中が大きく開いてたり、ミニだったりのいろいろなドレスにピンヒール、それにクラッチバッグを持った完全ドレスアップスタイルで、楽しそうに大胆に踊る。エントランスでのIDチェックもなかったのに、若い子たちは目につかなくて、男性も女性も大人だけしかいない。2周年記念のパーティというこの日はCRAZY Pというバンドがゲストでライヴも鑑賞。初めて観たけどかっこよかったー。結局朝の5時までたっぷりと楽しんで帰宅。まだ真っ暗な街へ一歩出れば、さっきまでのにぎやかな場面とは違った、やっぱり重苦しいとも言えるような景色。ふーんとタクシーの車窓から眺めつつ、明日はクマができちゃうなぁと思いながらもそもそとベッドに潜り込みました。
それにしても。アイルランドにすら行ったことのないわたしには、北部の英語はもうすでに英語じゃないように聞こえる。ごつごつとしていながら、さらに幕で覆われているような響き。

Thursday 13 November 2008

adobo

祝日があったので1週間振りの市民講座。
フランス語がむずかしすぎて涙がにじむほど。もう投げ出したい気分で、「フランス語」という単語はいまのわたしにはほとんど「悪夢」と同意語。言葉って、言語って果てしない…。


ぐったりと落ち込んでお家に帰ると、同居人チハルちゃんと今お家に居候中の彼女の幼なじみが夜ごはんを作っていてくれた。
フィリピン料理のアドボ


お家に帰って初めて見る景色が、あたたかな湯気が立ちこめたキッチンで女の子2人 がおしゃべりしながら料理をしているところなんて、それだけでおなかがふくれそうなほどしあわせな光景。と言っても辛辣な2人だから、その会話の内容は現実的かつ手厳しいものだけど、わたしにはそれがまた魅力的に映るのです。
このフレッシュヤングな彼女達、日本語・英語・仏語・中国語とそれぞれが母国語を会わせて3カ国語を操れるという才女。語学ってやはり8割はセンスがものを言う分野なのでしょうか。むー。


先週キッチンの電球が切れた。脚立を使って交換を試みるも、電球部分が折れてしまい根っこが照明器具に埋まったままなので、昨日ご近所のユウイチロウくんに取外しに来てもらったところ、素手ではムリということでそのままに。なのでペンチを手に入れて、今日ふたたび立ち寄ってもらうも、わたしが用意した新しい電球はタイプが違って取付け不可。2日も続けて無駄足を踏ませてしまった…。
フランス語はできなくてもーせめて電球くらいー自分でチャッチャと替えたいのよー。

Wednesday 12 November 2008

artisanat

Bouringereのミホナちゃんのお家でFête。普段行かないスーパーに行くと物価の違いや意外な品揃えや夢中。食材の価格がかなり違う…。

こちら手前から向こうの端までぜーんぶビスケット。ビスキュイ博士のクミーもびっくり。



agnes.bとペリエの合体商品

Fête準備の前にミホナちゃんのパン屋さんに遊びに行きました。どれもこれもおいしそう…。



その中から明日のお弁当用のパンとおやつのPain Perduを買おうとしたら、もらえた!ラッキー。ル・クルーゼでごはんを4号炊いたミホナちゃん


ぽろぽろと人が集まって10人ほどになってからも、おいしいおいしいからあげがどんどん揚げられて、お皿にはいつでもあつあつが乗せられていたこの日のテーブル。のりまきは別としても、塩むすび+ごまのおにぎりの魅力はフランス人たちには伝わらないかと予想してたけど、一つ残らず食べられて意外。

パン職人とパティシエが集まってたこの日、みんな楽しくおしゃべりしてたけど、それぞれが職人として働いてる姿ってまた全然違う表情をしてるんだろうなぁと思いながら眺めました。それにしてもみんな若い。7つも年下の人がシェフ・パティシエを任されていると聞いて、立派すぎてひれ伏したい気分。